責任感というもの
責任感がない。まるでない。
プログラミングやってる人ならわかるかもですが、
責任感が0ではなく、nullです。ヌルといいますよね。
nullなんです。存在しない、虚無です。
だから、役割とか、代表とかそういうの、苦しいんだなぁと。
いや、代表「らしさ」とか、その役割「らしさ」、とかが苦しんだなぁと。
思えば、責任感のなさをどうにかするためにずっと苦しかった。
高校時代、バスケ部のキャプテンだった。もちろん、自分よりうまい人
いたけど、練習参加率と、気持ちでは負けない気がしてた。
お祭りでフリースロー大会をやろうという事で、
ゴールをかりて、運んで、、などを話し合ってしばらくして
「あ!俺、他の用事あったんだ!!」
と言ったら、そりゃもう怒られた。
「お前責任感なさすぎだろ!!」と。
今思えば、そうか、自分が仕切ってやらねばならないのだな。
と襟を正した。
他にもあるんだ。
仕事でも、責任のある立場、店長とかになるために、頑張ったり
みんなに声かけしたりするのは楽しい。
でも、いざなると、プチっと何かが切れてしまう。
長年続けてるものがある。そちらでも責任感ねーなこいつって思ってる人もいるだろう。
実際、2年連続で、そんな感じの事が起きた。
へこんで動けなかった時、助けてくれた人もいれば、責任ある立場?なんだからと
感情をぶつけてくる人もいた。
父親なんだから、とかもたびたび聞いたなぁ( ;∀;)
何度も何度もチャレンジしたけど、そこで、責任もって
ちゃんとしようとしたけど、無理でした。
でも、おそらく、子ども達との時間を大事にしてる。と
思ってる。まぁ、子ども達といるのが楽しくて大事な時間だから
積極的にかかわってるってのもあるんだろうけど。
いわゆる「強さ」は自分にはない。
聞き流す強さなどない。
たくましく、何か発信する強さなどない。
仕事にしても、いいところまでは行っても、その後の
あ、これ以上は責任負いたくない、という想いから、
売上が増えても、これ以上は、、と「責任=お金」という構図
が頭に浮かび、やっていけなくなる。
もう、何かの責任など外していこうと思う。
自分を生きるだけで精一杯なのだ。
そんなこんなでうろうろ、責任感について悩んでいたら
鴨頭さん。そーなのかっ!!
いや、確かに、自分次第だよね。
責任ある立場だけど、みんな責任感じてるかといえば意外とそうでもない場合もあるし。
最近はこの鴨頭さんがいう「自分を使い切る」という事を念頭に置いてる。
使い切ろう!
はい、最近の与論の海でーす♪
この海は遠浅すぎてなかなか泳げないっていう。
アイギ浜
シナパ
ウドノス
数年前から、昔の読み方で浜をいおうみたいな空気感。
地名もそうなったらいいのになー
ちなみに
茶花(ちゃばな)→あがさ
朝戸(あさと)→あしと、あさと
立長(りっちょう)→じっちゃく、じっちょう?
小組合という、5~30件程度の集落もあって、
それも、当て字でどんどんかわってるのよね。
ウドノス←ウドゥノス←ウドゥンヌウッスー(御殿の後ろ)と本に書いてあるのは
竹内さんの「辺戸岬から与論島がみえる」という本にある。
それを読みつつ、
御殿が建つ前はなんだったんだろうか。っていう。
地名っておもしろいよなぁ。
責任感・・・とは?