それぞれの社会に合わせて変化して浸透する
先日は久しぶりに郷土研究会へ。
2か月に1回、11日が定例会なんですが、なかなか都合を付けられず。
今回は沖縄から琉球文化研究の第一人者、津波先生がいらっしゃるとのことで
特別に開催されました。
テーマは「琉球弧における葬制と墓制~地域と時代と改装に止目しつつ~」
という内容でした。
ざーーーーくりいうと、
「昔は琉球弧(沖縄・奄美)は風葬でした。改装(骨を洗って納骨)も行われていた」
「与論は特に珍しく、風葬あとの子孫まで身元がはっきりしてる」
とのこと。他の地域だと風葬あとはあっても、ほとんどの場合だれが子孫なのか
もうわからないらしい。
で、
鹿児島の政策で、土葬と決められたけど、地元の人の解釈で
「いっかい土に埋めて、もっかい掘り起こして洗骨すればいいよね」
っていう解釈で浸透したのが与論。
改装する地域は「死」に対する「恐怖」とか「忌避」の概念が薄いんでしょうね。
とも。
それは、なんかわかるなーと思った。
祖母の改装の時に母が頭蓋骨をみて
「あーばぁちゃんだねー」と嬉しそうにしていたらしい。
あと、やっぱりいろんな宗教がまざってる。
何かの一部のこと・・・わかりやすいことだったりする。
宗教でいえば、何かの経典を覚えないといけないけど、
それが一般の人には無理だから、もっと簡単な方法でお祈りをする。
いろんな事にいえることっすよねー。
末法的なもんですよね。
末法思想と空也の浄土教 | 日本の歴史についてよく分かるサイト
ちょっとずつ変化していくものなんですよね。何事も。
「社会に合わせて、文化や習俗は変化していくものなんです」
この時間でとても印象に残った言葉でした。
「社会」= 「多くの人の合意形成」
と考えれば、まさしくその通りだなー。
・「そういう「話」があったのは事実ですが、そういう「事実」があったかは
どこまで信じていいかわかりません」
というのも。頭に残ってます。