【風習】ミッション開始!!団子盗るぞ!!なトゥンガモーキャー。
昨日は、与論の子どもたちにとっての
一大イベント、「トゥンガモーキャー」
でした。
与論城跡で行われる豊年祭(1年で3回)
あるうちの秋の風物詩です。
自分の体験&その他参考資料で紹介します。
どんなもの?
「トゥンガ」=団子
「モーキャー」=もうける。もらう。
旧暦8月15日の夜、こどもたちは夜あるきまわり、
お月さまに備えられた団子を家主にばれないように
こっそりと泥棒する。
というったもの。
与論町誌ではどうかかれている?
与論には、「与論町誌」という
昭和63年にまとめられた与論の歴史・地理・経済・
民俗・習慣など、ありとあらゆる情報が掲載されている
本がある。こっそり教育委員会で販売されていたりする。
けっこうな値段なので、図書館でかりるといいと思う。
そして、与論町誌にはこうある。
P.1086 引用
日没後、満月の照らす庭先にダンゴを供えお月様に供える。
なお祖霊にも供える。子供らは庭先に供えたダンゴを盗り
集める慣習であった。この習俗は日本本土にもあったと
言われている。この月に供えるダンゴは畑作のものが本物
であった。例えばキビダンゴや粟のダンゴ、麦や豆などの
ダンゴだった。これは稲作以前の習俗とも関連して興味をひく。
ところが近年のダンゴ取りは、盗みではなく貰いに来ること
が多く、供えるものも米のモチや菓子のようなモチで畑作物
によるダンゴと異なってきた。
へぇ~。
日本本土にもあったといわれている。
とありますね。
与論献奉 の飲み方(親が一人いて回し飲みをする)
も、日本本土にあったといわれいます。
江戸でもやってたとか何かの本で読んだ記憶があります。
与論の先輩方って、そういう楽しそうなものを大事に
残してくれたんですね。ありがとうございます。
自分が小さい頃はどうだった?
57年生まれの自分が小さいときは、すでに「盗む」
という感覚がうすれていたと思います。
でも、庭先にあった場合はダッシュでとりにいってた記憶
はあるので、多少は「盗む」って感じだったんでしょう。
そして、時間も日没後でした。
明るいうちからは全然まわりませんでした。
電灯をもって、19時すぎくらいから21時に
かけて回るのが目安だったような気がします。
そして、中学3年で引退という感じでした。
自分が小さい頃は、こどもたちだけで回ってた
と思います。自分たちでいける年齢になってから
だったような。自分は兄妹4人の一番下だったので、
デビューは早かったかもしれません。
今は?
昨日は自分のこどもたちと一緒にまわりました。
そして他の家族も親と一緒に。
17時くらいから19時にかけてまわるのが目安のようです。
盗む感覚はゼロ。
もらいにいきます。挨拶をしながらいきます。
銀座通りにあるホテルでは、おじさんの仮面をかぶった
人が座ってて、いきなり動いてびびりました。自分が。
時代を少し遡ります
池田福重さんの無学日記という書籍。
なんと、大正時代の幼少期の様子が記されています!!
こちらにはしっかり「盗む」感覚が記されていますね。
やっぱり盗むんですよね(笑)
ブログ書いてる本人も盗んでいたようです。
トゥンガモーキャー(餅ドロボー) | はにぶ楽園 - 楽天ブログ
この方も私より2周り程うえの先輩。
盗んでいる(笑)そして、放歌的!まさにそうですね。
夜にこどもがであるくからといって、事件やケガは
きいたことありません。
たまにはしゃぎすぎてケガはあるかもですが。
というわけで
トゥンガモーキャーの風習は日本古来のものであり、
方言同様、変化はしてきているとはいえ
その形式も与論島は残してきた。
ハロウィンは日本にもあった!? 奇習「月見泥棒」とは 〈BOOKSTAND〉|dot.ドット 朝日新聞出版
この記事にもあるように、「お月見泥棒」
なんですよね。今も関東の一部には残っているみたい。
知らないだけで、与論独自の文化だと思ってましたわ
与論版ハロウィーン?
与論版お月見泥棒だ!!
そして中国から流れてきた風習っぽいぞ!!
うちらの次の世代は、仮装しながら
トゥンガモーキャーをするかもしれないですね。
そういえば、民謡の「五尺ヘンヨー」
も日本各地にあるみたいですね。
与論独自って風潮でしたが、調べると違う。
おもしろい。まだまだ与論知りたいなぁ。