【ガイドコースの下見】シニグの足跡を辿る
先日、ガイド講習がありまして、コースを決めようということに。
与論では2つのグループに分かれて、自分たちチームは、
4人で、「シニグ祭」とよばれる与論に伝わる祭事の足跡をたどるコース
を選定しました。
今日はその下見です。
感じたことは、
「土地に歴史があって、その土地の事を知っていけばいくほど、
与論は深く広い」
「シニグ祭」については、こちらに書いてあるものを参考に。
以下の書籍にはさらに詳しく書いております。
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まずは、与論に最初に人が上陸し住み着いたというアーサキから
はじまります。
シニグ祭は「シニグ道」と通って、「サァクラ」と呼ばれる集団で
「神道」を歩きます。
今日はその「神道」をたどります。
与論民俗村の村長、菊さんにくっついていきます!
味処「味咲」に集合して、スタート!
ニンニクらーめん食べたいぞ!
左側のソテツのところを歩いたそうです。今はもう歩いてないそう。
そして、むこうの白い建物の横に歩いていきます。
水色の屋根の「海水館」という民宿の左側を抜けて歩くそうです。
ちなみにこのあたりは昔は砂地と土が混じってたらしく、耕作に不向き。
農業構造改善で畑に適したものにしたそうです。
ちなみに、海水館すぐ左手の山っぽいところは、ノーシグスク、ノーシュグシュク
などといい、古くは城のようなものがあったのではないかと言われている。
簡単には運べない大きな石積みがあるそうです。
そしてそのとなりには「シマグスク」なるものも。
いずれも、現琴平神社近辺の与論城築城の際に、ちょうどいいからと
石材としてもっていったようです。
アーサキウガン。
写真を撮るのは遠慮しようと思いましたが、
「何もしらずにズカズカ入られるのもな・・・」
と思い、記録に残しておきます。
近くを散策の方はそっと見守ってください。
こういうところには、
クヮーギ(桑の木)
デーク(ダンチク)
を植えておくのだそうです。
桑の木は「クワバラクワバラ」のクワで、
㋐落雷を防ぐために唱えるまじない。
㋑嫌なことや災難を避けようとして唱えるまじない。
[補説]死後に雷神となったという菅原道真の領地桑原には落雷がなかったところからという。また、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるともいう。
に由来するものだそうですね。
ダンチクは調べたらもっと文化的、歴史的な意味があるかもしれません。
海水館横のこの道を歩いたそうです。
与論民俗村裏の大きなフクギ。
この木陰で休憩をしたそうな。
列の先頭は、「牛」
左奥の家のそばを通ったそう。
ナナメに抜けて、、
途中、創作ダイニング福家の裏を抜け、
県道へでます。
里見木工とか、あの辺のそばからまがったところに、
ショウサァクラが集まる場所があります。
他のサァクラの様子ですが、こちらは写真付きで紹介されてます。
途中、気になったところ
大きな岩のところに、人工的な何かつくったような跡があります。
「沖縄関係の何か??」らしいんですが、気になったので調べてま~す。
途中、昔ながらの植物があるところも通って思ったこと。
手つかずの自然の神聖さと、人が手を加え続けている神聖さ、
どちらも大切にしていきたいもんですね。